「ホノルルマラソン報告」 2006/12/13
本来ならば、いかにして3ヶ月で4時間切りを達成できたかの練習内容をここで紹介し、来年からは4時間半や5時間を目指す方の箕山クリニックサポート&伴走企画でもどうかと考えていたのですが・・・。
42.195kmを4時間以内で走りきるには、1kmを約5分40秒のペースで走り続けなければいけません。ホノルルマラソンでは、kmでの表示もありますが、マイルでの表示がメインで1マイルごとに表示されおり、ゴールまでは26マイル。1マイルは約1.6kmなので、1マイルを約9分で走っていけば、4時間を切れることになります。前日、ナイキのブースにて目標タイムを3時間57分に設定し、マイルごとにクリアしていかなければならない時間を票にしたものをリストバンドにしてもらいます。例えば、ダイヤモンドヘッドの上りは約9分30秒、その後の下りは約8分50秒といったように調整されていて、そのとおりに走りきっていけば、設定時間通りのゴールとなります。
さあ、朝5時のスタート、予定どおりにマイルごとにタイムを刻んでいきます。最後のほうでペースが落ちてしまうことを予測して、マイルごとに数秒ごとの貯金をためていきましたが、やはり16マイルあたりからきつくなってきました。1マイルにつき、15〜30秒多くかかってしまうペースになり始めます。このまま行くと、4時間を少し1〜2分をオーバーかなと思いつつも、脚が重いだけで息はまだ荒くなっていなかったため、最後にスパートをかけれれば何とかなると走り続けます。しかし、19マイルのエイドステーションで、右膝に鋭い痛みが出てきました。腸脛靭帯炎って、こんなに鋭い痛みなのか?今まで練習でこんな症状出たことないのに、ちきしょう腸脛靭帯炎ごときで止めるわけにはいかないと、走ろうとするも脚を引きずってしまいます。20マイル手前、ついに歩いてしまうも、根性で再度走り出しました。その瞬間、右膝外側にミシっと音が走り、よろけて再び右足をついた瞬間バキッと右腿に大きな音がしたかと思ったときには、身体は180度回転し倒れていました。すぐに何が起きたか分かりました。腸脛靭帯炎なんかではなく右大腿骨骨折です。骨に異常がなければ、ランニングで骨が折れてしまうことはありません。気付かないうちに疲労骨折をもともと持っていたようで、筋の疲労が骨を支えきれずに最後に骨が悲鳴をあげたわけです。変形した右大腿をガクっと自分で戻しながら、そうかそういえば今まで練習のとき時々あったあの疼痛は疲労骨折だったのかぁと思いました。比較的稀な大腿骨の疲労骨折が、まさか自分に起きていたとは。話し言葉的に言うと、ええ年こいてオッサン練習しすぎやし、自分スポーツドクターのくせにおかしな痛みに早く気付かんかい!ってとこでしょうかね。救急車を待つ間、どうすれば予定通り火曜日の朝の便で帰り水曜日に日本に到着して、木曜から診察できるかと考えました。その日のうちに、手術で固定してもらえれば、月曜日に退院して火曜の便で術後痛くても帰れます。ということで、この辺の救急から病院での治療までは、アメリカの医療を自ら受けたことで感じたことを次回に書くとして省かせてもらいます。今、予定通りに手術を受け日本に帰ってくることができ、松葉杖ですが明日から診療を再開できそうです。従業員にも、そして何より患者皆様にご迷惑をおかけするかと思いますが、よろしくお願いいたします。
しかしながら、自分一人の体でなくなってから、レースに復帰しない、格闘技系のスポーツはしない、海のスポーツはしない、スキーもスノボーもしない、高速道路は140km以上出さない(140出てりゃ十分出てますか?)、生かきは食べたくても食べない等々、リスクのあるものは避けるようにしてきましたが、まさかマラソンでこのようなことになってしまうとは。反省し、今一度自分一人の体ではないことを自覚して、今後はゴルフだけに集中します。ゴルフもヘルメットでもかぶってプレーしておけば大丈夫ですかね!?
今回、現地でいろいろ助けてくれたXTERAアスリートの湯本優くん、順天堂大医学部生で来年医師になる小松っちゃん、R-Body代表の鈴木岳さん、日本に到着してから助けてくれたプルデンシャル生命の岩崎純規さん、そして現地と日本で連絡を取りながら、木曜からの診療体制の準備をしてくれたスタッフ全員ありがとうございました。
とりあえず、ハワイの整形外科医に、希な1例報告の論文をプレゼントして帰ってきました。1〜2年後にはAmerican Journal of Sports Medicineにでも掲載されますかね!?
それでは、折れた直後から退院までのお話はまた次回です。

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