「いつも「社会貢献」を心に」 2006/06/25
何かを達成するために、今何をすべきか常に考え常に努力する。その達成目的が近い将来のことであれば、モチベーションの維持は簡単だ。でも、かなり先の将来的展望である場合、日々モチベーションを維持し続けることは困難である。そのために、目の前のステップ・バイ・ステップの目標をつくり、その一段一段をクリアしていく。自分はそうやって生きている。いつもステップを順調に上れることなんてなく、ときどき踏み外すことも。つまり、良いときばかりじゃなく悪いときもある。悪いとき辛いときには何が心の支えになるか。自分を支えてくれる人や信頼してくれる人、家族もそうだが、最終的には自分自身でしかない。そういうときは、自分自身が何のために生きているか何のために仕事しているか、つまり原点にもう一度戻ることで心を落ち着かせることができる。その原点とは、「社会貢献」。きれいごとでも何でもなく、医者である以上当たり前のこと。その気持ちがあれば、どんなときも頑張ろうと思うことができる。本来なら、何でも診てあげることが出来るホームドクター、僻地で地域の人たちのために活躍する医師、難民を助ける国境なき医師団、通院できない高齢の方たちのために訪問診療を行なう医師、こういった医者たちが使用すべき言葉かもしれない。でも、自分はいろんな考えの中からスポーツをサポートする道を選んだ。一般的には社会貢献と思われないようなことを行なっている分、尚一層のことその分野で極めなければと思うし、その分野を極めて何かメッセージを発信することで社会に還元できればと思う。また、医者になったことが自分の努力とはいえ、医者になれる環境にいたことに感謝し、医者になりたくてもなれない人がいる分、さらに社会に貢献にしなければならないと思う。自分の知識・技術を高め自分を磨いていくことが、困っている人のためになり、そして人のため公のために行ったことが、自分のためとして還ってくるならば、きついことも辛いとは思わない。早朝から入院患者に看護士が行なう採血をやらせてもらうため早起きした、上のドクターが行なう毎朝の回診を先回りして行なった、上のドクターが嫌がる検査データの事務処理を全部先にやった、上のドクターが当直のときに夜中だろうと起こしてもらって一緒に救急を行なった、手術をやらせてもらえるようになったとき前日は徹夜で勉強して行った(本来は体調万全で手術に向かうべきでよくないことだが)、午後からの手術の麻酔をかけさせてもらうために昼ごはんも食べずに一番に手術室に入り待機した、週末の休みも術後入院患者の消毒のために病院に行った、休日であろうと夜中であろうと医者がいなくて困っていると看護士から電話があったら駆けつけた。何をやろうが何時に病院に行こうが、時間外手当などなく、研修医の給料20万円。どれもこれも、自分のためであり、また人のため。
最近の若手医師たちが、労働条件が厳しく訴訟も少なくない外科、産婦人科、小児科、脳外科などの専門に進むことを嫌うらしい。とくに専門にしたい目的があるわけではなく、時間にしばられることがなく、きつくない診療科を選ぶ傾向にあるようだ。皮膚科に進む医者が近年増加しているらしいが、そういった理由や保険診療制度が崩れていくなか開業して自費診療による美容系で儲けようと考えている医者もいるのだろう。先日、朝日新聞の調査で、若手医師に「最も大切に思うこと」を尋ねた結果、「家族・家庭」が49.7%で「社会への貢献」の26.2%に大きく水をあけているという記事があった。医者とはいえ一人間である、「家族・家庭」を大切に思うことは大事だし何も悪いことではないが、自分に言わせれば「医者に成り立てのペーペーが何を生意気なことほざいているのだ。もっと自分の知識・技術を磨いて、まずは社会に貢献してからそういったことを求めろ。それに耐えられないのなら初めから医者なんかになるな。」といったとこだ。医療の世界だけでなく、現代社会が人のためにとか公のためにではなく、自分さえ良ければいいみたいな風潮である以上、若手医師に自分を犠牲にしてまで社会に貢献することを求めるのは無理なのだろうか。高齢化社会にともなう医療費削減、メディアの医療問題の取り上げ方などの問題もあり、どんどんドライな医者が多くなっていく気がする。将来の日本医療の行方が危惧される。
スポーツをサポートする身として、これからの日本スポーツも心配だ。みんな自分のため自分の人生のために戦っている。当然だ。でも、ほんの少しでいい、日の丸を背負う全日本レベルの選手には、それぞれの種目のスポーツ発展のため、ジュニアの希望のため、日本のスポーツ界全体のため、日本にスポーツを文化として成り立たせるため、日本の誇りのため、こんな社会貢献となる心をプロとして持って戦ってもらえると嬉しい。技術、体力的にどうだとか、医科学サポートが必要だとか以前に、もっと公を意識できる精神があるだけでも、日本スポーツが向上するような気がする。最近インタビューで、「自分が楽しむために、頑張ります。」という言葉をよく耳にする。大いに結構だ。そして結果がすべての世界で、結果を出すことがプロとしての唯一の表現のかたちかもしれない。でも、皆の憧れの存在だ。嘘でもいいからプロとして社会貢献的な発言を期待したい。また、それがスポーツ選手の社会的地位を上げることにもなるだろうし、スポンサーや放送権の問題など、ふざけるな、スポーツを何だと思っているんだと言いたくなるスポーツビジネスによって、選手が犠牲になってつぶされていかないためにも、ジャパンを背負っている選手たちには広い視野をもって日本スポーツのために頑張っていただきたい。いまだに印象に残っているのは、トリノ五輪のスピードスケートで4位という彼女なりに納得の結果を出しながらも、「メダルを取れずに、国民の皆様に申し訳ない。」といった岡崎朋美選手の発言だ。最近どんな選手からも聞かなくなった言葉である。

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