2007年02月 アーカイブ
医者の体たらくと患者の勘違い ~僕と家族と、時々昔の彼女~
言った本人にとっては特別な言葉ではないのに、相手にとっては大切な言葉として不思議といつまでも心に残り続けることがある。大袈裟かもしれないが、意外とそういった言葉がその後の生き方を左右することがあるかもしれない。自分のなかにも大切な言葉がある。ガキの頃人様に迷惑をかけないことを教えてくれたのはオカンの言葉であり、中学生のとき親を大事にすることや弱いものをいじめないことを教えてくれたのは兄貴で、大学生のときお金を貰って何かをすることへの責任を教えられプロ意識を持つようになったのはオトンの言葉のお陰である。不思議だが、ガキの頃のことまで鮮明に覚えている。いつまでも自分のなかに残る言葉のうち、人として生きていくうえで大事なことを教えてくれたのは家族の言葉である。
家族以外の人の言葉でも、今も残っている言葉が二つある。この二つの言葉は、自分が医師として働くうえでの基本精神を作ってくれた言葉である。一つは、学生のときに付き合っていたナースの彼女がくれた言葉というかメッセージ。バレンタインにくれたメッセージカードには絵がプリントされていて、あるオジさんの医者が子供の差し出す縫ぐるみに聴診器をあてている絵だった。きっと、縫ぐるみの調子がおかしいと子供が近所のお医者さんのところに持ってきたのだろう。「こんなお医者さんになってね」というメッセージが込められていた。ここまで気の利いたオジさんにはなかなかなれないが、このお医者さんのような気持ちを忘れないようにしている。二つ目は、学生で臨床実習を行っていたときに確か循環器内科だったと思うが、そのときの指導医が言った言葉で、「今はいろんな検査を行える器械があって診断がつけやすくなっているが、我々医者は科学者であり技術者でもあるから、やはり昔の医者のように聴診器一つですべてが分かるぐらいでなければならない。」という言葉である。自分は内科医ではないので、聴診器を持つことはあまりないが、整形外科医に必要なのは靭帯の緩み具合を調べてみたり、損傷部位にあえてストレスをかけて痛みを誘発させてみたりなど、患者を触って診る診察手技、いわゆる触診である。このときの指導医の言葉が医学生であった自分の心を打ったからこそ、自分の手だけでいかに診断をつけるかという診察手技を研いてこれたと思っている。また、それは検査器械なんてない競技現場で自分の知識と手だけを頼りに、選手のケガを瞬時に判断することにも役立ってきた。余分だと思われるような検査を行ったことにより分からなかった疾病が偶然見つかることもあるから、器械の精度が高くなった現在はどんどん検査をするべきだとか、やれる検査は全部行い診療費を稼がなければ経営が大変だとか、様々な意見はあるだろう。それにしても最近は、あまりにも自分で見て触って判断せず、すぐにCTやMRIに頼る医師が多くなってしまっているように感じる。それどころか、見て(視診)聞いて(問診)触って(触診)を通り越して、まず検査ありきで画像を撮影しておきながら、その画像を正確に読み取れずに肝心な診断をできない医師までいるぐらいなのだから本末転倒である。こういう医者の体たらくが、病院は診療を受けるところではなく、レントゲンやMRIを撮るところといったような勘違いをする患者やトレーナーを生んでしまっているのである。ときには、レントゲンだけじゃなくCTやMRIを撮ってくれる医者がいい医者だと思っているような患者までいる。個人個人が意識しなければ、良くなることはない地球温暖化と同じで、もっと医師一人一人がプライドを持って、医師の能力を上げていく努力をしないことには、ますます医療の価値が落ちていくだけである。医療費抑制のために、これからも診療点数は下げられていくと思うのだが、下げられては検査を増やして帳尻を合わせるような医療をしていては、検査オーダーを出すだけといったチンパンジーのゴメス・チェンバリンでもできるようなことしかしない医者がさらに増えるのだろう。たとえ3分診療であろうと、その3分で確実に診断することができるように自分のこれまで学んできた知識と臨床経験そして研いてきた診察手技を凝集するのだから、1分1万で3万の価値はある診察だと豪語できるぐらいのプライドと自信を持った医者が増えて欲しいものだ。くだらないタレントが、テレビの中でヘラヘラと座っているだけでギャラが50万や100万と入るぐらいなら、我々医者の苦労と努力そして世の中にどっちが必要かを考えれば初診料が3万であっても何もおかしくないと自分は思いますがね。ちなみに、現在の保険診療における初診料は、その1割にも満たない270点(=2700円)です。
医療だけに関わらず、便利になることで見失っていくものっていっぱいあるような気がします。携帯電話という便利なものの普及で、相手と会って目と目を見て話すコミュニケーションの機会というのは、昔と比べてかなり減っていることでしょう。もしかすると、今の若者達にとっての大切な言葉は、実際に相手が話した言葉ではなく携帯メールに書かれた言葉であったりするのでしょうか。もしくは、そんな言葉はないのかも。話す言葉よりも書く言葉のほうが、かつての朝日新聞の広告ではないですが、ときに身勝手で感情的で残酷であったりしますから、大切な言葉になるよりも相手を一生傷つけることのほうが多いのかもしれません。いじめが私たちの頃と比べ陰湿になっているように感じるのですが、こんなことも一因であったりするのですかね。
自分は、いつも心にある大切な言葉のおかげで、まともに生きてこれたと(自分では・・・)思っています。これからもきっとそうだと思っています。何てこと言うと、ただでさえ医者って他人にはいいように見られがちなので、何の悩みもなく生きてきているように思われそうですが、医者だって人間ですから悩みもあれば落ちるときもあるし愚痴も言いたい、イライラだってします。でも、皆の前では凛としてないといけない。実はそんなつらいときは、昔の彼女のメッセージカードが助けてくれるのです。あのオジさん医者の姿を思い出すと、そうそうあんな風にならなければと少し心が落ち着くのです。
第7回 「関節運動を考える会」のご案内
平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。暖冬とはいえまだまだ寒い時期が続きますが風邪などお召しにならないようにお気をつけ下さい。
さて早速ですが、今年始めの第7回「関節運動を考える会」のご案内をさせていただきます。今回のテーマは午前中が、前回のテーマでもありました、「足部・足関節の運動療法」で、午後は北里大学解剖学研究室の平本先生にお願いしまして、昨年の続編であります、「解剖学見地から考える上・下肢の運動学」(仮題)を考えております。
午前中の「足部・足関節の運動療法」では、日ごろ何となく行なっているExなどを少し体系化していきたいと思います。「足関節内返し捻挫はチューブExが良いといわれて何となくやっているが、チューブExをやった後に選手がよくなっている感覚がない。」などと、言うことはないでしょうか?また、Dyjocもやっているが、何となく???だし、Dyjocもどの様に展開していけばよいのかも???ただ負荷を上げて難しくしていけばそれでよいのか?を、運動学的に考えて行きたいと思います。当然の事ながら、運動療法は座学だけではなく、実際に体感し、その後の変化を互いに確認しあいながら行なっていきたいと思っております。
午後は平本先生による、解剖学を基礎とした運動学をお願いしてあります。骨関節疾患では外すことのできない解剖学と運動学。我々が常に念頭において置かなければならない、骨の形状、筋の付着部、筋の形態、これらをどの様にまとめ考えていければよいかのヒントになるのではないでしょか?そんな事を考えていけるものと思っています。
開催日:平成19年3月21日(祝)
時間:10:00~16:00(受付開始は9:30からで、終了時間は延長する場合があります。)
場所:箕山クリニック(東京都世田谷区、詳細はwww.minoyama.jp)
参加費:¥5.000
参加資格:理学療法士・鍼灸師・ATなどの有資格者
応募方法:メールshun-no1@minoyama.jpで、氏名、保有資格、経験年数、所属先を記載の上、箕山クリニック 宮澤までお問い合わせ下さい。(℡の問い合わせはご遠慮下さい)
募集人数:30名
募集期間:3月7日(規定人数に達した時点で締め切らさせていただきます。)
関節運動を考える会 代表
箕山クリニック 宮澤 俊介
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